お母さんが嫌いだった算数・数学をお子さんが好きになるわけがありません。
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という興味深い一文が目に入ったので、数学に対して「よくわからないから嫌い」という、『数学をすでに学んだ大人』の感覚と『これから数学を学ぶ子供』への向き合い方を考えたいと思います。
先のようにおっしゃるのは、横浜国立大学大学院教授で『計算しない数学』著者の根上生也先生。
おしゃることは分かるのですが、じゃ、算数・数学が嫌いな親の親は算数・数学嫌いではなかったのか?
そもそも 算数・数学 嫌いだったのは誰から?
やっぱり算数・数学はつまらないのでは?
と、ネガティブな思考を抱かれやすい数学を考えます。
話す前に記事そのものをリンクしておきます。
数学はもともと哲学から派生した
哲学ってなんだっけ?
哲学って、よくわからない理屈をこねてるやつでしょ?
数学って、哲学なの?やっぱり難しそう。
といきなり拒否られそうですね。
少し話を聞いてください。
哲学というのを一言でいうと「本質を考える」行為を指すと思います。
「なんで信号の”止まれ”は赤なの?」
「それは、人間の視覚に強い刺激を与え、血と同じ色から危険を連想するからだよ」
なんて、比較的たどり着きやすいものもありますが、
「なんで僕は学校に行かなきゃならないの」
のように、答えに窮するものもあります。
そんな時に「なぜだろう」「どうしてだろう」と考え、自分なりに腑に落ちるところを見つけたり、相手に「なるほど、そういう考えもあるね」と納得や共感を得られる発想をするのが哲学だと思うのです。
数学はまさしくそんな学問で、いろいろな事象や現象を、数字や計算を道具として使い、相手を納得させます。
歴史的にも、昔、哲学は科学を指している場合も多く、数学はその一分野だったと言えるんです。
「子どもの頃から哲学者 ~世界一おもしろい、哲学を使った「絶望からの脱出」!」
日本の教育に哲学はない
数学に限らず、日本の教育は「いかに出題者の決めた答えを導き出すか」を教えるのです。
あなたが、子供が、「何を考え、思っているか」なんて、見向きもしないんです。
だから塾に行って、志望校の過去問を解きまくるのです。
学校で行われる、座学の一斉授業が悪いというのではありません。
「それだけではだめ」
と言いたいのです。
そして、「あなたの答えは間違っている」と言われてうれしいわけはなく、ダメな理由がよくわからないので、嫌いになるのです。
数学には二つの側面がある
見出しが悪いですがすみません。
数学には二つの顔というか、内容があると考えています。
- 買い物の「支払額とおつり」のようなつかう数学
- 事象や物事を数の世界で普遍的に表そうとする数学
一つ目の数学(算数と言われる場合が多いかも)は、やり方を覚える必要があり、答えが一つに決まり、繰り返し練習して身に着ける必要があるものです。
二つ目の数学は、物理学や経済学で用いられる計算の正しさなどを証明しますが、テレビの仕組みなんか知らなくても番組を楽しめるように、必要な人が知っていればよい数学です。
一つ目の必要性はあなたもうなづいてくれると思います。
問題は二つ目なのですが…
正直いらないかな。
ですが、「こういうものがあるよ」と紹介されないと、触れるきっかけもないので、学校で取り上げる必要があると思います。
ここに来て、ふるい落としのテストとか…
きちんと身に着けたか、テストなどで確認し、受かったら学位をあげるなら納得もいきますが、学びたいものに「お前じゃ無理だからくんな」みたいな入試制度、腹立たしいですよね。
理屈が納得いけば数学だって楽しい
よくわからないから、難しい、楽しくない、嫌い。
となるのではないかと言ってきましたが、その根拠を一つ。
最初に紹介した記事の著者、横浜国立大学大学院教授の根上生也さんの著書から紹介します。
32チームで行うトーナメント。優勝チームが決まるまでに、何試合が行われるでしょうか?
計算しない数学―見えない“答え”が見えてくる!
難しそうですが、答えを聞くと納得です。
むしろ騙された感があるかもしれません。
負けチームの数と試合数は同じだということです。そして、優勝したのは1チームしかないのですから、出場したチームの数から1を引いた値が負けチームの数、そして、その数がトーナメントの試合数になるのでした。
計算しない数学―見えない“答え”が見えてくる!
たぶん誰でも納得できるはず。
そして、ここに至る道筋を考えるのが哲学的な数学で、こういう考え方を紹介し、共に悩む授業が日本には不足していると思うんです。
副担任制度など導入しても、教育のベクトル変えなきゃ。
そして、お父さん、お母さん、教育制度が変わるのを待っていたら、子供は成人してしまうので、一緒に数学と向き合ってみましょう。
例えば、この等式が何で成り立つのか、お子さんと考えてみるのはどうでしょう。
1+2+3+…+10 =10×11÷2
(たしか高校数学で、1+2+3+…+n=n(1+n)/2という公式を習います)
どうしてかは個別にお答えしますので、メッセージやメール、SNSで気軽に聞いてください。
「計算しない数学―見えない“答え”が見えてくる! (根上生也著) 」
なんでかわからないけど文系と理系の比率は7:3!
調査結果がそう言ってるみたいなんで、そうなんでしょうね。
私大の学部の偏りが気になりますよね。
あなたは文系です!と意図的に洗脳されているのかと思います。
数学は実は文系?
文系という言い方は語弊があるかもしれませんが…
ラテン語や記譜法など、日常見ない文法で書かれた文があると思います。
文法に沿った記述方法で、一定の意味を成す文章が書かれ、それを研究する学術という意味では数学も同じです。
ちなみに数学の文法(数学記号)は国際規格です。
ISO 80000-2 によって定められています。
答えが一つだから文系が楽しい!実は文系のほうが答えが明らか
よく「数学は答えが一つだから」と言われますが、他の教科はどうでしょうか。
漢字は唯一です。
歴史や地理も答えは一つです。
生物や化学も覚えて答える問題が多いです。
グレーなのは現代文くらいだと思いますが、このグレーさは数学と同じでなんです。
作問者から言わせていただくと。
だって、「答えから問題作る」んですから。
数学が、答えの値になるよう問題の数値を決めるのに対して、現代文は筆者の主張や、主人公の気持ちを見つけるためのきっかけを問題にするんですから。
あくまで出題者が、「この部分が登場人物の気持ちを表すポイントだな」と主観で思っただけのことなんです。
入学試験程度では、数学と国語の差異はありません。
(やっぱり、今度国語の読解解説やりましょうか?)
創作系の問題は提携はめ込みが基本
何度か書いていますが、考えて書く系の宿題、問題は定型(テンプレート)を作っておくことが基本です。
大人でも、「このアンケート用紙にご記入願います」と言われれば書けるけど、「この白紙にご自由に感想をお願いします」と言われたら、多分見なかったことにして立ち去りませんか?
同じなんですが、学校の先生もお父さん、お母さんも、「なんでかけないの、早く書きなさい」とまっさらな原稿用紙突きつけますよね。
されて嫌なことはよせばいいのにと思います。
最初はこの本で練習もいいと思います。
掛け算九九みたいな初歩的テンプレの作り方が身に付きます。
「必ず書ける あなうめ読書感想文」
【結論】数学嫌いのきっかけは思い込み
数学が分からなくなったきっかけやタイミングはそれぞれあると思います。
数学を嫌いにならないでという気もありません。
でも、それは、躓いて、打ちのめされて、もう無理と思った人だけ言って欲しいです。
つまりは、「あなたに理系は向いてない」という決めつけをやめませんか?
むすびに
長々書きましたが、つまりは「自分の価値観を子供に押し付けないで」。
だって、親の影響は子供にとってとても大きいから。
と思うんですよ。
いかがですかね。
子供を導くのが親の務めと思いますが、親の決めた常識に押し込める名が仕事だとは思えません。
一緒に数学なぞをきっかけに、一緒に頭突き合わせて見てはいかがでしょうか。
これからの新しい可能性に、ありがとうございます。