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中学校で「方程式」を習います。
その際、『わからない数を”X”と置きますよ』
と、突如「未知数」なるものが出てきて、
“X”という文字も使われます。
この“X”ってなんなの?
なんで”X”なの?
そう思うのも無理はありません。
また、そう質問されたお父さん、お母さんが
困って、「そういうものだから覚えなさい」
と答えているのも見かけることがあります。
でも、「なんで”X”を使うのか」
を教えてくれる先生は少なく、
答えられなくとも仕方ないでしょう。
そこで、今日はなんで方程式で”X”を
使うのか、お話ししたいと思います。
問題
なんで方程式では、未知数(わからない数)を
“X”と置くのか
答え
特に意味はない
今回はいきなり答えを書いてしまいました。
諸説あるのは確かかですが、それは学者さんたちが
議論すればよい話で、私たちが気にするような
ことではないんです。
役所の記入例に「山田 太郎」「田中 花子」と
書かれている、この名前に「なぜこの名前なのか」
疑問を持つことは少ないと思います。
また、子供の「なんで太郎と花子なの」と聞かれたら、
「昔は太郎君と花子ちゃんて名前がよくつかわれてたからだよ」
という感じで答えるのではないですか?
数学での”X”には、その程度の意味しかないのです。
ぶっちゃけ、「あ」でも「犬」でも構わないのです。
ただ、現実的には
“{(1犬+3猫)×2猿+4犬×猿}=6犬猿+6猫猿
という式は、見ずらいですし、書くのも面倒なので、
採用されていません。
どうして”X”が使われるのか
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ここからは「へぇ~」と読み流して大丈夫です。
知ってると、ちょっと自慢できる程度の話しです。
現存する文献は「デカルト」が最初
数学界でも諸説ありますが、文献として
最初に残っているのは哲学者であり数学者でも
あった「ルネ・デカルト」の
” 「幾何学(La Géométrie) “だそうです。
「我思う故に我あり」という文言は聞いたことがあると思います。
これを言った人が「デカルト」ですね。
この本の中で”X”が出てくるのですが、
なぜ”X”なのかは、さして意味がなさそうです。
証拠はないけど”X”が使われた説
いくつかあるので2つだけ紹介します。
アラビア語の「未知のもの」起源説
アラビア語で 「未知のもの」は 「al-shalan」
というそうです。
スペインの数学者が、スペイン語に「sh」の音に
相当する文字がなかっので、しょうがなく「ck」と書き、
古代ギリシャ語の「chi(X)」を当て、これが後に
ラテン語に翻訳されたときに、ラテン語の
「x」に置き換えられたんじゃないかと言われています。
クリスマスの「Xmas(Christmas)」も宗教学者が
「Christ」の略語としてギリシャ語の「chi(X)」を
使ったことからきた言葉だそうですが、
それとちょっと似てます。
数学者の中では、この説が一番人気だそうです。
ギリシャ語の「未知のもの」起源説
ギリシャ語で 「未知のもの」を「xenos」というそうですが、
単にこの頭文字をとって「x」を使っているという説もあります。
この説はわかりやすくていいですよね。
なぜ他のアルファベットではなく”X”なのか
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さきほど「大して意味はない」と書きました。
その通りなのですが、”X”が都合がいい理由は少しあります。
あるきまったアルファベットは、すでにほかの
意味で使いたいという都合があるんです。
“v”はベクトルを表したり、”w”はω(オメガ)と似ている
ので、使うの嫌だったり、”i”は整数(Integer)、
“n”は自然数(Natural number)などが数学界では一般的です。
また、”a””b””c”は「既知数」として、デカルトが
使っていたので、こちらもそれをまねっこして、
現在も使っています。
(既知数、未知数とは何ぞやは、また長くなるので割愛します)
こんな風に、諸事情あって、未知数には
アルファベットの後ろの方の文字”X”などが
都合よかったんですね。
むすびに
途中小難しい歴史的な話もありましたが、
再度結論を言うと、「特に意味はありません」
「太郎くんと花子さん」と同じ感じです。
なんでか教えてくれないのに、当たり前に話されると
理不尽を感じますよね。
数学の授業って、哲学的な部分もあるので、
理不尽な感じで進む部分も少なからずあります。
すべてにお答えはできませんが、そういった
もやっとした部分を、少しわかりやすく
お伝えしていければと思います。
もやっとがスキっとになると、脳も若返る
そうです。元気な脳に、ありがとうございます。