新しい知識や技術を習得するには勉強や訓練、練習が必要です。その時、質の高いコンテンツにこだわるのか、費やす時間など量にこだわるのか、どちらがより有効か書いてみたいと思います。
一点先にお断り私に都合がいい記事なので、そこはご注意ください。
質より量だと考えてます
いきなり結論から書いてしまいますが、私は何かを習得するには質より量だと考えています。
そう考えるのは、自分の3っつの経験からくるものです。
具体例の一つ目は、大学受験でのことです。
高校卒業時の私の偏差値は45でした。志望校には到底届かないものでした。
予備校に通わせてもらうことになったのですが、その時の勉強時間は1日8時間。登下校の移動時間にもノートの見返しをしていたので、さらに2時間。予備校の授業時間を合わせると1日16時間程度勉強していました。
数学先行なのですが、このとき200問以上の過去問を暗記しました。
数学は暗記科目ではないといいますが、解法を知らないとその場で手順を自ら発見しなくてはなりません。解法のストックがあるというのは、例えるならトラブルの解決方法を知っているようなものです。解決方法のストックは多いに越したことはありません。
最終的に、偏差値は45→67にあがりました。
二つ目は、大学時代の演奏技術の習得の時です。
講義の時間とサークル仲間と飲んでいる(爆)時間以外はほとんど練習していたように思います。
時間にすると1日8時間くらい。
楽器は高校の時から弾いていましたが、部活動の2~3時間程度、それも友達とじゃれあいながらの練習だったのに比べると、雲泥の差です。
特に、練習時間の多くは基礎練習に当てました。
初めは基礎練はあまり楽しくなく、曲の練習が多かったです。しかし、ある程度の演奏レベルになると、曲を弾けるようになるのが早くなるんですよね。
そうすると、音質、滑らかさや表現力の向上を求めたくなります。このときになって基礎練の大切さを身にしみて感じました。
平易にアレンジされた、耳なじんだ曲しか弾けなかったのが、大学2年にもなるとチャイコフスキーなど管弦楽団レベルの曲を弾けるようになりました。
三つ目は就職3年目のことです。
それまでは担当システムに対して先輩の監督、確認の下で仕事をしていました。ところが先輩が育児休職を取得されることになりました。すぐに代わりとなる人材もおらず、自分が先輩に担っていた役割を任されることになりました。
知識も経験も不十分な中、誰しも通る巣立ちの時なのかもしれませんが、頑張りました。
プレッシャーもさることながら、資料作成や問い合わせ対応、各所の調整や報告会への参加。
当然、担当業務に割く時間が多くなります。
実作業のほかに、先輩がどれだけ時間を使い、周囲に配慮し、気を配ってくれていたか痛感しました。
一応半年後には、お客様からも直接の窓口と認めていただくことができました。
これらの経験から、私は何かを習得するには、質より量だと考えるようになったのです。
私の考えを後押ししてもらえる記事を紹介します
プログラミング言語の習得ではこんな研究結果が出たそうです。
また、受験勉強ではこう言っている方もいます。
直接の学習だけでなく、日ごろから接するというのも「量」の必要性を物語っていると考えます。
量より質という意見もあります
当然、「量より質だ!」という主張もあります。それでも、最低限の量は必要と書かれています。
私も、ただただ量を求めればよいとは思いません。何も考えずに、時間だけを消費して、やった気になるのは「効率が悪い」だけだと思います。
おわりに
理想だけ言うと、質の高いコンテンツを、より多くの時間や量をかければ、より早く、高い水準で習得できると思います。
でも、質の高いコンテンツかどうか、初めは判断できないと思うのです。
結果、質が分かる程度のレベルになるまでは、とにかく避ける時間をできる限り突っ込んで、質を比較できるくらいの量をこなす必要があると考えています。
ざっくりいうと「質より量」が勝ると主張します。
まだまだ意識が甘く、定期テストの結果に一喜一憂して楽しませてくれるちびと、新しい業務や技術に触れる機会を与えてくれている今の環境に、ありがとうございます。